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13件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1952-06-18 第13回国会 衆議院 外務委員会 第36号

○佐々木(盛)委員 しからば今度の平和條約の第一條にある戰争状態の終了ということは、台湾、澎湖島のみならず、中国全土との間にも、法律上は効力が生じて来るという昨日の参議院における下田條局長の答弁は、私はただいまの論理から推して行つて、まことに正しい結論であると考えますが、政府のこれに対する見解をあらためて承つておきたいと思います。

佐々木盛雄

1952-04-22 第13回国会 衆議院 法務委員会 第39号

そういうわけで、世界的にも前例がないのみならず、日本の国の歴史を見ても、安政年間下田條約、あれに比較してみましても、おそらく領事裁判権の條約に比較してみましても、これははるかに国辱的なるひどい行政協定であることは、私が今ここで喋々を要しないので、それに基いての本法案における手続規定でありますから、まつたく目も当てられない状態になつている。

田中堯平

1952-02-27 第13回国会 衆議院 外務委員会 第6号

従つて、かつてわれわれが安政下田條約のころですら認められていた日本の国の当然の利益を守るための正当防衛であるとか、召還要求、退去、追放命令あるいは公使の暴行に対する自衛権利、こういうような、すでに国民が当然持つている自衛権利というものは、この裁判管轄権問題のいかんにかかわらず持つのかどうか。

林百郎

1951-11-08 第12回国会 参議院 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第13号

殊にお話の一八五五年の下田條約におきまして択捉得撫の境が境になつて国後択捉というものは従来から全然日本領土ということに対する疑義を国際間にさしはさんだことはないのであります。ただそれ以北においてロシア人日本人が一緒におりました状態で、ここではつきり境目をいたしたのでありますが、一八七五年のいわゆる千島樺太交換條約によりまして全千島日本領土になり、樺太ロシア讓つたのであります。

草葉隆圓

1951-10-25 第12回国会 参議院 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第3号

国際外交上におきましてのこのクリルアイランズの問題は、あの安政下田條約、或いは神奈川條約と申しまするか、その際の日露国境を設定した際におきましては、択捉島と得撫島のあの水道日本ロシアとの国境とする。こういうようにきめられております。從つて択捉及び国後はこれは当然日本のものでありまして、問題になつておらないのであります。

岸田利雄

1951-08-18 第11回国会 衆議院 本会議 第3号

国際條約上に現われました千島歴史は、安政元年、すなわち一八五四年の日露和親條ーー神奈川條約ともいわれ、また下田條約ともいわれているのでありますがその規定におきましては、こう書いてあります。今より後、日本ロシヤとの境、すなわちエトロフ島とウルツプ島の間にあるべきものであつてエトロフ全島日本に属し、ウルップ全島、それより以北クリール諸島ロシヤに属すると書いてあります。

佐々木秀世

1950-04-26 第7回国会 衆議院 外務委員会 第17号

專門員朗読〕   陳情書第八二七号南千島及び歯舞諸島復帰に関する陳情   陳情書害東京都港区芝西久保巴町三十五番地全国町村会館内全国町村議会議長会長齋藤邦雄エトロフ以南歯舞諸島を含む島々は、わが国の過去の歴史的事実と、下田條約及び千島樺太交換條約等の国際條約において、すでに日本領土であることを明確に規定しているので、これが復帰の要請は何らポツダム宣言の趣旨に抵触するものでないから、これら

仲内憲治

1950-03-08 第7回国会 衆議院 外務委員会 第7号

そうなりますと、先ほど申し上げました千島樺太交換條約の第二條にはクリル全島、こういうことになつておりまして、それはいわゆる下田條約による千島水道以北であるということは、はつきりするのであります。従つてその千島水道以南エトロフクナシリ——シコタンハボマイはもちろんでありますが、これはは当然含まれない。こういう解釈が明らかになるのでありますが、その点いま一応御答弁願います。

浦口鉄男

1950-03-08 第7回国会 衆議院 外務委員会 第7号

浦口委員 私の承知するところでは、北千島南千島というのはいわゆる下田條約と千島樺太交換條約、この二つの條約によつてこういう俗称が出たと考えておりますので、公文書の上では南千島、北千島の差はないというふうに承知いたしておりますが、何かそういう公文書の上で明示されたものがあるならば、お知らせ願いたい。

浦口鉄男

1949-12-21 第7回国会 衆議院 外務委員会 第1号

すなわち千島列島中のエトロフクナシリシコタンハボマイ諸島は過去三百年来日本領土であつて安政年間下田條約におきましても、「今より後日本国とロシアとの境は、エトロフウルツプ島との間に在るべし」というようなことが明記されているのであります。また明治八年の條約におきましても、エトロフ水道以東千島諸島樺太交換日本の領域となつたのであります。

佐々木盛雄

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